案外原始的?
昨今、デジタル技術の爆発的な発展によって社会生活はドンドン便利になり一見物理的には快適になって居ます。特にインターネットの発達によりメールや掲示板などのコミュニケーションは外見的には取れて居るかの様です。私も仕事に遊びにその恩恵を受けています。
しかし、ふと、立ち止まりよくよく足下を見てみると何でもかんでもメール?相手が正しく見て判断して下さっている保証は何処にも無いのにとても重要な事までメール?はたして此で良いのだろうかと・・・・
私などの稚拙な文章力で正確にこちらのハートが伝わっているのだろうか?・・と何時も心配になります。そこで、最近は本当に重要な事はメールをやめました。
人間そのものはそんなに急速に進歩している保証は何処にも有りません。技術だけが急速に進歩してその技術を使う方法を正しくチョイス出来ない状態に有ると 思うのです。先般、昔からの先輩友人から近況報告の手書きの葉書が来ました。とても嬉しく思い、思わず葉書ををスリスリ手でなでてしまいました。(笑)
今、選択肢はあまた有ります。しかし、その選択肢を正しくチョイスする教育を受けている人は、はたしてどれだけ居るでしょうか?否、その大切な教育そのものが有るかどうかさえ甚だ疑問です。
本当に大切な心を感動させるような人間関係はとても原始的手間暇がかかるものだとつくづく思います。例えば、自分の足で一歩、一歩登った山は登頂の感動を 忘れる事は有りませんが、いくら有名な山でもケーブルカーで登ったら感動すら無く、登った事さえかすかな記憶の彼方にドンドン遠ざかって行くようなモノな のでしょう。
そこで、私は原点へ回帰するのです。BASIC ENCOUNTER