日本人には教訓と云う思考回路は無いのか?
来るべき東海地震等の防災に関する理不尽な現状と考察
いやぁ~~~大変な事になりそうな状況です。私たちの地域も来るべき東海地震及び東南海地震の発生が高い確率で予測されています。この予測される地震は阪神大震災や新潟県中越地震などの断層型地震と異なりプレート型地震ですのでその被災エリアは前者より遥かに広大となると予想されます。広大となるが故に行政の支援や各種ボランティアの支援も薄くなり、しかも震災後の救済もライフラインの復旧もかなり遅くもなると推定します。我々の住まう町は古い住宅の比較的多い住宅密集地で有り被災状況は先の都市型地震の阪神大震災長田地区を教訓として見習うべきと思います。阪神大震災では行政の救助した被災者は1.7~20%(発表機関によりマチマチ、ドンドン行政の都合の良い数字に変遷している?)程度と云う報告も有ります。何れにしてもその救助された殆どは近隣住民により救われています。また、国や県、市の現在の財政状況は借金に次ぐ借金で一般企業に例えればすでに倒産状態(政府自らがこのままの方針で5年が過ぎれば倒産(デフォルト)すると発表しています。)と推定申し上げます。よって被災後の行政からの支援も期待することは難しい状況でもあります。自分の家族や財産は我々自らが汗して守らなければなりません。その意味で事前の防災対策を含めた町内全員の防災意識の高揚と町民の結束及び相互扶助が早急により強く求められて居ます。
現実震災が起これば住民が力を合わせて好むと好まざるに関わらず人間の心が有る限り救済活動を実行しなければなりません。事前に被害を少なくするために特に倒れない建物を増やす耐震啓発活動はとても重要であります。これをしないと震災後の仕事は膨大となると推定もうしあげます。震災後のドサクサでバラバラに高負荷状態で行うより今、コンセンサスを得て耐震化を始め出来るモノから実行に移すのが賢明な方法と推定申し上げます。
去年の4月1日施工の愛知県地震防災推進条例によりますと法的にも我々はこの自主防災活動を推進することを目的及び責務として定められています。阪神大震災、新潟中越地震とこれから我々が遭遇するであろう震災は根本的に二つの点で異なっています。一つめには唯一、起こるであろう事がかなり前から想定され十二分に広報、周知徹底されて居る点です。二つめに膨大に広域で同時に起こる点です。他の震災は不意打ちに比較的狭いエリアで突然、不幸に見舞われました。それが故に被災住民も被害意識、被害感情は同一であり心底協力が出来たと推定申し上げます。しかも二つの地域ともコミュニティーが比較的醸成された地域でありました。突然でしかも狭いエリア故に震災エリア以外の人間も行政も援助協力を惜しまなかったと推定申し上げます。誤解を恐れずに言えば幸運にも震災時風がとても弱かったことが被害拡大をこの程度に抑える事が出来たと思います。
人間の一般感情として十分危険を知り得た上で何もしない行動停止により被害に遭っても、他地域の救済の動議付け感情は弱い可能性が有るかもしれません、昔より言う“自業自得的”な感情を抱く人も居ないとも限りません。また、同じ被災住民の間にも十分備えて居た人と、危機を知っていて何もしていない行動停止の人と同じ被害意識、被害感情は共有できない可能性もあり得ます。
最悪の場合には高額な資金を注ぎ込み十分備えて確実に助かるで有ろうと思われた人が行動停止者(この時点では怠慢者と見なされる)による火災や倒壊により被害を受けた場合、先の愛知県地震防災条例をたてにするまでも無く紛争となる可能性すらあり得ます。すくなくとも感情的には修復しがたいシコリを残す可能性は十分想定されます。
思い返せば10年前の今頃、私は阪神大震災の消炎くすぶるがれきの中を歩いていました。まるで地獄絵図の様相を呈していました。豊橋を出発前、同行する社員一同に神戸行きの話をしましたら・・・“社長、あんな大きな地震が起こればどうしようも無いよ!!!”とまるで危機意識が有りませんでした。それはテレビの中の出来事であり“実感”“共感”と云う感性に乏しいかにみえました。
防災服、安全靴に身を包み、ヘルメット、水筒、食料、等々を持ち住吉から三ノ宮まで徒歩でがれきのすき間を選び選び、がれきに阻まれそれを乗り越え乗り越え進みました。もう、それはそれは今思い出しても言葉が有りません。倒壊家屋のそばで呆然とする人、悲しみに打ちひしがれた人、その被災者の悲しみ慟哭は嵐のように私たちの心を襲って来ました。
家を創る者として絶対にこの悲しみを繰り返してはいけないと心に誓った事を忘れる事は出来ません。帰りの新幹線の中の社員の顔はとても引き締まって言葉少なく凛としていた事を思い出します。
現場体験の無い一般の人々に大震災の臨場感や共感を現実として得ることはとても難しいことと認識をしています。多くの共感の無い人々、多くの耐震性能の劣る建物を放置する事は、我々が当事者となる全てを奪い去る震災がすでに始まって居ると同じ事と思います。
先進の静岡県を始め各地で行政主導の元、自主防災組織なるものが編成はされて居ますがそれは、ズバリ云えば大震災後の行政のいい訳の為の組織とも思えるほど殆どが形骸化しています。つまり行政としては組織を作り一生懸命やったのだけど住民が動かなかったと云ういい訳の為の組織?“自分の事は自分で何とかしろ”とは当然と云えば当然ですが近代化都市化と云う名の元にコミュニティーが壊れた多くの町ではなかなか難しい状況です。人口37万人の豊橋市で云えば全住宅は約12万棟有りそのうち47000棟が昭和56年6月1日以前の既存不適格建物、早く云えば推定倒壊率80%以上の建物です。行政の耐震補強の対象は47000棟の内平成16年度で云えばたった200棟です。ちなみに平成15年度は100棟、このペースですと安全な町になるためには235年を要します。もちろん毎年の建て替えが有りますので単純には表現できませんが・・・行政はもはや住民の事など真剣には考えて居なくて実行などどうでも良く“自分たちの活動して居ることを知らしめるイベント屋”と化して居るようにも思えます。倒壊の恐れのある建物に住んでいる住人を啓発し自らが耐震補強する事は、震災後瓦礫の中から何十人もで住人を救うことに匹敵する行為と思います。現在の日本の法律では震災時のもらい火や隣家の倒壊により被った被害はあきらめるしかないのです。自己責任を自覚して高額な費用をかけて耐震対策をしていてもいい加減な隣家の影響で損害を被っても泣き寝入りです。また、災害対策援護法では、いい加減な被害をまき散らした全損の家には多額の税金(今では全損の場合300万円+100万円)で援助して、チャンとやっていて被害を被った家でも少々家が破損した場合には援助は無しです。建築の専門的に云えば少々傾いただけでも構造的な被害は修復しがたいモノなのです。構造接合部が強度を発揮しないので当初の強度を希望する場合は建て替えが必要なのです。いい加減な被害を拡大した人には税金で手厚く保護し、自らお金を注ぎ込み事前に自助努力した人には知らぬ顔、これはどう考えても理不尽な話です。
また、阪神大震災では震災後税金を10兆円(兵庫県HP)とも16兆円(NHKの番組で)ともいわれる膨大な費用をかけています。一棟当たりにすると230万円以上だそうです。来るべき東海地震が起こっても日本の今の財政状況ではもう、復興の為の国債発行は難しいかもしれません、それこそ現在1000兆円(特殊法人等の隠れ借金を含めて)を超えるであろうという国債発行残高があるのに・・・臨時の国債を発行すれば国債の暴落を招き金利上昇すれば、日本国家は間違いなくデフォルトです。財務省は推測するに現在サーカスの綱渡りより危険な運営をしていると思います。
色々な観点を総合するに大損害が出る前に日本の建物が倒れないように既存不適格建物を法的に改修を義務付ける法律を1本通すだけでこの国は救われる可能性が大とおもいます。
もちろん、これにより数万の人命と、数十万人の人々をケガ等から守り数十兆円(名古屋大学の福和教授は最大100兆円の損害との推計を出して居ます。)の損失を防ぐことが出来ます。最近の愛知県の発表では向こう30年間の東海地震の発生確率は84%の高確率と云うのに・・(涙)
なぜ、政治家もマスコミも行政もだれもコノ視点で問題提起しないのか不思議でなりません。