2025年11月14日

人間の細胞にも自然に備わるアポトーシス機能が暴走中

「改革という名の静かな安楽死」

ついに日本に初の女性首相が誕生した。ニュースは連日「歴史的快挙」と賑わって、借金爆増の円安物価高となったアホノミクスと同じような、さらなるジャブジャブ財政出動派の右翼おばさんであるが支持率は80%と超高支持率をたたき出している。その裏で交わされた“政治取引”の方が、よほど歴史的だったかもしれない。自民党と維新の連立。その条件は「比例代表の50議席削減」だった。さらに党首が逮捕されたNHK党の議員迄数合わせで取り込んだ!

なるほど、50議席削減「身を切る改革」は耳ざわりがいい。しかし、よく考えるとそれは“民意を削る”ことでもある。削った議席の分だけ、地方の声や少数派の息づかいが消えていく。だが、この国では「改革」と名がつけば、どんな痛みも美徳になる。まるで、政治版“自己責任社会”だ。

日本の選挙制度は「小選挙区+比例代表制」。比例代表は、死票を減らし多様な民意を救う役割を担う。しかし今、その小さな声を切り捨てようとしている。もし本当に50議席が減れば、公明党や共産党は約25%の議席を失い、新興政党は生き残れない。だが、こうした変化を「合理的」と評する人もいる。理由は“経済成長”だ。

実は、91カ国・32年間のデータを分析した研究によると、選挙制度の「比例度」と経済成長には奇妙な関係があるという。民意を正確に反映しすぎる国ほど、経済成長率が低い。逆に、多少歪んでいても決断が早い国ほど、成長率が高いのだ。まさに「話し合いすぎると、景気は冷める」。日本の政党の得票率と議席率のズレ(不公平さ)を数字で表した指標ギャラガー指数は8.9。民意をよく反映する“模範生”だが、その分だけ経済は低体温。なるほど、民主主義は健康的すぎても代謝が落ちるらしい。

ならば比例削減は、経済的には“延命治療”なのかもしれない。議席を減らして、政治のフットワークを軽くする。決められない国が、ようやく「決める国」へ――そんな理屈が成り立つ。だが、問題はそこに「誰が決めるのか」が置き去りになっていることだ。

日本の政治は、いまや“官僚の指示待ち内閣”と“世論の顔色伺い政党”の二人三脚。大胆な改革と言いつつ、改革の中身は「少し減らす」「慎重に検討」「できる範囲で」「検討会議設立⇒会議自然消滅の先送り」ばかり。これでは、政治というより“調整業”である。議員を減らしても、会議の数は減らない。書類の印鑑も減らない。結局、削られるのは「責任の所在」だけなのだ。

だが、それでも国民はどこかで納得してしまう。「しょうがないよね」と。景気も悪い、物価も上がる、税金も重い。それでも「女性首相誕生」で少し気持ちが明るくなる。まるで、冬のこたつに入ってテレビを眺めるような安堵感。寒い現実を忘れるために、少しだけ暖を取る。

そう考えると、いまの日本政治は“ぬるま湯のままの静かな安楽死”に見えてくる。派手な革命もない。血のにじむ改革もない。ただ、じわりと熱が下がり、気づけば動けなくなっている。まさに、糖質依存症の重度の糖尿病の透析患者の様ですね!

比例削減とは、民意の代謝を少しずつ止めていく処方箋かもしれない。民主主義は、あまりに完璧であっても、現実には動かなくなる。だが、だからといって不完全さを装う政治を許していいのだろうか。

「民意か、成長か」。そんな二者択一を迫る時点で、すでに政治の想像力は貧しくなっている。改革とは、本来どちらかを捨てることではなく、両立の道を探す営みのはずだ。

それでも日本は今日も「合意形成」という名の眠りにつく。政治家たちは「国民の理解を得ながら」と繰り返し、国民は「どうせ変わらない」とつぶやく。そうしてゆっくりと、誰も責任を取らない国が完成していく。

 ――改革という名のもとに――深堀思考が不能な反知性主義国民が5割超える国の”改革”は確実に自死・アポトーシスに向かうと云う原理原則が有ります!これに歴史上1度たりとも例外はありません。

日本もとてつもなく・・恐ろしい国になったと思いますね・・・貴方はどう思いますか?

2025年11月13日

第一優先順位が”命”にならない強欲商業主義

「走る棺桶」と日本的妄信的安心の方程式

日本人ほど「命を安売りする天才」はいない。1930年から1946年にかけて、国家ぐるみで国民の命を1銭五厘(現在の85円相当)の消耗品(約370万人の無駄死に)にした16年間は、まるで「人体実験の時代」だった。そして残念ながら、そのおぞましい負のDNAは現代にも見事に受け継がれている。違うのは、竹やり突撃から「走る棺桶」への進化くらいだろう。

トヨトミの決算を見てみよう。2025年度、日本での販売割合は21.2%なのに、利益は65.6%。翌四半期もほぼ同じで、1/5の日本市場から全体利益の2/3を稼ぎ出す。要するに「海外ではカツカツ、日本人からは3倍もむしり取る」という体質だ。世界中では儲からないのに、中身スカスカの商品でも日本人だけはありがたく財布を開けてくれる。しかも「世界一のグローバル企業」と自画自賛する。これをブラックジョークと呼ばずして何と呼ぶのか。

そして、その商品が「命を預ける車」だからさらに笑えない。Euro NCAPの2025年衝突安全テストを覗いてみると、140万円の中国製BYDシーガルが堂々の5スター。大人の乗員安全82%。230万円のNIO「firefly」は驚異の96%。ところがトヨトミの最新BEVアホンタンドクルーザー(430万〜570万円!)は4スターで乗員安全77%。3倍の値段で安全性は2割も劣化。イメージでごまかす「高級棺桶」と言った方が正しい。こんなの反知性主義の思考停止の今の日本人にしか売れないであろう。

走る棺桶に乗せられながら「やっぱり日本車は安心だね」と言えるのは、世界広しといえど日本人くらいだろう。しかも、試験条件は正面衝突64q、側面50q、ポール衝突32qという低速設定。本来の事故はその数倍の速度で起こるのに、それでも日本車は最高点を取れない。「命軽視の証明書」を自ら提出しているようなものだ。

設計者や経営陣がライバル車の高安全水準を知らないはずはない。知ったうえで「チープな安全性でも、日本車ブランド信仰の日本人なら買う」と判断した結果が、チープな4スターで500万円という商品なのだ。つまり、日本市場は「人体実験用のモルモット牧場」なのだ。命の軽視を承知で売り、妄信バカが買う。これぞ日本的共犯関係である。

ではなぜこんな商品がまかり通るのか? 答えは簡単。日本人は「命より日本ブランドを信じる」からだ。走る棺桶に乗せられながら「やっぱり日本車は安心だね」と言える民族。安全性を数値で比較せず、空気感で安心を感じる。「世界に誇る日本品質!」という昭和の幻覚を共有している間は、誰も真実に気づかない。これ以上都合のいい消費者は世界に存在しない。

よく考えてみれば、この構造は車に限らない。政治も同じ。嘘をついても、裏金ジャブジャブでもカルト教団とズブズブでも開き直れば人気は維持できる。社会保障の穴も「未来の子供が払えばいい」と先送り。確実な大災害も老朽化したインフラも、少子高齢化も全部借金で知らん顔、全部次世代送り。「命より今(欲)が大事」という思想が社会の隅々まで行き渡っている。

こんな現実を見せられても日本の未来(若者の未来)を破壊する可能性がとてつもなく高い、今の右翼政権の支持率18〜39歳で80%を見れば、日本人と云う生き物は私には理解不能である。

愛国心とは何か? 同胞の命を守ること? いや、日本流では「同胞の命を安く使い倒すこと」らしい。命の軽視こそが、日本の最先端技術であり、唯一の歴史的にも普遍的価値なのかもしれない。

だから未来の子供たちに残されるのは、安全な社会でも豊かな暮らしでもない。「走る棺桶」と「国の借金」と「悪慣れのDNA」「自然災害で破壊されつくした日本国土」。日本人の本当の伝統文化は、能や茶道ではなく「悪慣れ問題先送り」なのだ。

そして最後にこう叫んでみよう。「命を軽視して何が悪い!ムダ金 3倍払って死ぬのも美徳だ!」そう、日本は今日も安全神話を信じながら、笑いながら!80年前と同じようにバンザイと叫びながら死へとドライブしているのだろう。まさに・・歴史は韻を踏んで繰り返す!自衛隊を軍隊に戻す様だ!

2025年11月12日

『社長室の冬』日本のオールドメディアの”大嘘の状態化”

『社長室の冬』は、堂場瞬一による日本の経済小説。小説は2017年4月にWOWOW連続ドラマW枠で「社長室の冬-巨大新聞社を獲る男-」としてテレビドラマ化された。

伝統ある巨大新聞社が時代の流れに取り残され経営不振となり外資へ“身売り”を画策するという衝撃的なストーリーで“メディアのあり方”を問う本格社会派ドラマで、主演の三上博史氏が迫力ある演技をしている。

日本のオールドメディアの”大嘘の状態化”に警鐘を鳴らす・・まるで日本社会のノンフィクションドラマの様相である。日本の国民無視の既得権益の村社会談合が色濃く描かれている。

「鶏が先か卵が先か?」の議論が日本国を堕落させる構図は・・日本の近代史その物である。

教育が壊れ⇒愚民化⇒ポピュリズム政治屋⇒ポピュリズム政治屋に取込む強欲企業家⇒悪政⇒過剰な商業主義⇒拝金主義⇒搾取の為に国民扇動⇒反知性主義の蔓延⇒村社社会の権益確保⇒下級国民の洗脳教育⇒教育が壊れ⇒・・・・と延々と”鶏が先か卵が先か”のぐるぐる回りになるのが・・日本社会そのものである。

まさに私が本ブログで何時もご紹介する書籍⇒日本人必読の書!!!

「そしてメディアは日本を戦争に導いた」著:半藤一利 著:保阪正康・・・以下本書の解説

昭和史の大家ふたりが、破局に突き進んだ「昭和の大転換期の真相」を明らかにした対談。タブー視され部分的にしか語られることのなかったジャーナリズムと国民自身の戦争責任について、真正面から取り上げている。

そして昭和の歴史を振り返るだけでなく、時代状況が驚くほど似てきた現在へ警鐘を鳴らす。昭和初期、新聞は軍部の圧力に屈したのではなく、部数拡大のため自ら戦争を煽(あお)った。日露戦争時の「戦争に協力すると新聞が売れる」という教訓にしたがい、先頭に立って太鼓を鳴らし、日本を戦争へ導いたのである。しばらくは軍部に抵抗していた雑誌ジャーナリズムも同様の道をたどることとなった。

国民の側も、5.15事件はじめテロを「義挙」として賞賛し、国連脱退を熱狂的に支持するなど、ひとりよがりな「正義」にとりつかれ冷静さを失っていった。言論人、文化人も狂騒状態に陥り、国際的孤立を歓迎した。ジャーナリズムのミスリードから、付和雷同しやすい民族性もあり、国民全体がなだれをうって破局への道を選択したのである。

当時のこうした時代状況に、“現在”は驚くほど似ている。近現代史の「四〇年周期説」(37ページ)でいっても現在は、昭和初期に当たる。憲法改正の動き、ヘイトスピーチなどに見られる、極右政党の台頭、多くの若者の右傾化、新たな形での言論弾圧・テロなど、危険な兆候も増えてきた。にもかかわらず、あまりにも歴史を知らず危機感のないジャーナリストはじめ国民に対して、いちばん大事な「昭和史の教訓」をわかりやすく説いたのが本書である。

★日本人なら何度も何度も読み込み・・世界で日本人ダケが持つ”負のDNA”の存在を理解して、メディアリテラシーを高め、確実に到来するであろう、1930〜1945年に類似する近未来を生き残る為の準備が不可欠です。

「生きる価値は、どれだけ多くの時間笑ったかで決まる」

人として普通に生きる事が贅沢と呼ばれる日本に日本人はしてしまった。「笑って生きたいだけなのに、それすら贅沢という社会」

以前にもお話しましたが「生きる価値は、どれだけ笑ったかで決まる」——ヴィヴァルディの言葉です。バロックの巨匠が音符の代わりに笑顔を数えていたなんて、なかなか洒落てます。でも現代の日本では、「笑うこと」がどんどん贅沢品になっているような気がしませんか?

かつて「幸せはお金で買えない」と教えられました。でも今は、「幸せになるためには、最低限これとこれとこれは買ってください」と値札付きで幸福が売られている。家電、保険、教育、食事、住宅… ぜんぶ「心の豊かさ」をエサにしたパッケージ商品です。幸福すら“商材”にされたこの国の現実に、そろそろ気づくべきなのかもしれません。

もちろん、笑うこと自体には価値があるんです。免疫力が上がって、血行もよくなり、自律神経も整って、筋力もアップする。笑いは、医者いらずの万能薬。でも、その笑いを生む“ゆとり”が、いま真っ先に切り捨てられている。金銭的なゆとり、時間的なゆとり、そして精神的なゆとり——この3つが揃わないと、笑うことすら難しい。

教育現場でも同じです。人が生きる上で一番大事な事は全く教えてくれません。点数競争、偏差値、内申書。「いい大学へ行って、いい会社に入って、ローンを背負って家を買って、老後は不安で眠れなくなりましょう」という暗黙のレールを疑わないように育てられる。

そこに「感動する力」や「感謝する心」が育つ余地はあるのでしょうか?——感性よりも要領、疑問よりも同調が評価される教育の中で、“自分の幸せって何だろう?”と真剣に考える子どもはむしろ“浮いた存在”にされてしまいます。

そして大人になると、今度はメディアの番です。テレビもSNSも、どこを見ても「足りないあなた」に商品を勧めてきます。「この化粧水であなたも幸せに」「このSUVで週末の父親らしさを取り戻そう」——感動も、自己肯定感も、まるでショッピングモールで買うかのように提示される。

でも、本当の幸せって、きっともっと素朴なものです。たとえば家族とおにぎりを食べながら笑ったり、誰かに「ありがとう」と言ったり、雨上がりの空を見てふと涙が出たり。そんな瞬間が、心の奥からホルモンを出してくれる。「オキシトシン」「セロトニン」「エンドルフィン」——お医者さんの処方箋がなくても出てくる最強の“薬”は、じつは「感謝と感動と笑い」のなかにあるんです。

しかし、現代社会ではそうした自然な感情すら、“生産性がない”“コスパが悪い”と冷笑されがちです。笑顔より成績、感動より効率。人間性より「稼げるスキル」。こうして人は、数字の奴隷になっていきます。

私自身もその罠にかかっていた一人です。ゴルフという「大人の社交」に夢中だった頃、気づけば時間もお金も膨大に使っていました。でも40歳のとき、ふと「これ、本当に楽しいのか?」と自分に問いかけたとき、答えはノーでした。その瞬間から、私は“真の学び”の道へと足を踏み入れました。惰性でやっていたゴルフをやめて、結果的に世の常識でその後の人生で浪費する3840万円と2万時間を取り戻したわけですが、もっと大きかったのは“自分の心に気づけたこと”です。

同様の事はコマーシャル等のテレビで流れるあらゆる商品・エンタメ・プロスポーツ等に付いても同じ事が言えます。商業主義の猛毒を垂れ流すのが日本のコマーシャルなのですね!。蚊を殺す殺虫剤が必要な様に時には毒も必要ですが・・人は殺虫剤まみれでは確実に健康を害します。これと同じです。

私たちが本当に求めているのは、誰かが用意した“幸せのテンプレート”ではなく、自分の感情に正直に生きる自由なのではないでしょうか。

笑い、感動し、感謝する。そのために必要なのは、ブランド物でも豪邸でも高級車でもありません。“心のゆとり”と“感じる力”を取り戻すこと——それこそが、この拝金主義に染まった社会を変える、最も静かで確かな革命なのです。

何時も申し上げている鉄板の不変であり普遍の原理原則⇒目の前の1人を幸せに出来ない人に・・・自分が幸せになれるハズが無いのですね!真の笑顔になれるハズも有りません⇒原理原則!

貴方は大丈夫ですか?

2025年11月11日

中国はアメリカを追い越し確実に世界1の国になりそうだ!

「錯覚高級ブランドが消えた国」——“悪慣れ”が生んだ日本の無音の終焉

かつて「メイド・イン・ジャパン」は世界の誇りだった。だが、気づけば“日本製の高級ブランド”という言葉は、もう死語になりつつある。時計ではスイスに10倍以上の差をつけられ、車ではレクシスがドイツ勢の足元にも及ばない。中国製にさえ負ける!欧州ではトヨトミはディスカウントカー、レクシスは普通車の認識である。決して高級車のカテゴリーには入れてもらえない。

等々中国では約800馬力の大型SUVが約600万円前後で普通に買える様になった。このモデル等は0〜100q加速は3秒を切るのが普通である。しかもフルフルオプション付きで600万円である。

今中国ではファーウェーのHIMAの高級ブランドMaextro(マエストロ)S800がメルセデスベンツSクラスと同等の値段(2000万円前後)でもベンツSクラスの4倍も売れている。レクシスLLSは高級車のカテゴリーにも入らない!

それでも私たちはどこかで「日本は品質で勝負できる」と信じている。まるで、日本人は過去の栄光の残像を見ながら“現実から目をそらす練習”ばかりしているようだ。

日本人の日本メーカー忖度モーターチャーナリストでも、今の中国車の品質は欧州や日本と全く変わらないと断言している。そりゃそうだよ!欧州や日本から高給+好待遇で引き抜かれた技術者が設計や製造管理、品質管理をしている訳だから当然である。中国車のデザインセンターは欧州に有り、一流のデザイナーが上層部に忖度する事なく自由に設計、デザインが出来て居るとの事だ!

日本の年功序列の子飼いの古い上司に忖度しまくりの低賃金デザイナーが、世界の超一流デザイナーが自由にデザインする中国車にデザインで勝てるハズも無い。

トヨトミが損得度外視で欧州車のブランドに挑んだウルシオ、その系譜を持つレクシスの最上級セダン「LLS」が全くの販売不振で36年の歴史に幕を下ろした。SNSには「ポンチュリーが後継最高ブランドか?」といった憶測が飛び交うが、ブランド価値の本質を理解しないまま「形だけの継承」を繰り返す日本の化石企業には、もはや“文化の継承”は荷が重い!不可能だろう。

高級車とは単なる高額商品ではない。長い時間をかけて培われた艶の有り輝きを放つ「文化」そのものだ。だが日本では、文化を“デザインの一部品”としか扱えない。結果、オラオラ顔の下品にキンキラ豪華を装った「見た目の高級」が残り、内側の品格は消えていった。そこらの下品な成金専用車となった。

ド下品な日本の政治屋でもレクシス「LLS」に乗る人は少ない!私もレクシスの最高級スポーツカーを見に行ったおり、運転席に座ったとたんにそのスイッチ類の程度(感触は品質程度)の低さ、品質の低さ、使い勝手の貧弱!まるで1/6の値段のカローラの内装かと一瞬、”これがトヨトミの高級車?”と信じられなくなり・さすがに日本人から何倍も平気で儲ける事が出来る企業と感じ・試乗を進められたが丁寧にお断りした。

同様の感覚はポンダの最新の「ポンダNSEX」でも感じた!・・両モデルとも大失敗作となった様だ!高級を理解出来て居ない作り手に高級車を作らせる経営層も真の高級の意味を理解出来て居ないのだろう。熟成からしか艶や輝きや品位は生まれないと云う事が理解出来ないらしい!

「LLS 500 AWD フンテージエディション」は、250台限定で米国に登場した。黒く塗ったボディ、赤い内装、刺繍入りヘッドレスト——どこか“高級車らしい演出”を一生懸命している姿が、かえって哀しく痛々しい。

416馬力のエンジン、約1460万円の価格・同程度の品質と性能の中国最新車なら値付けは400万円である。価格の数字は立派だ。だが、欧州では誰も振り向かない。彼らにとって高級とは、数字やスペックではなく、“歴史の香り”だからだ。

問題は、製品の良し悪し以前に、「日本社会の思考」がすでに貧しくなっていることだ。“世界で通用するブランド”とは、職人の技と企業哲学、そして顧客との信頼が積み重なって生まれる。だが、日本では効率化とコスト削減の名のもとに、“哲学”が真っ先にリストラされてきた。

会議では「コストダウン」が正義で、「美意識」や「物語」は無駄と切り捨てられた。その結果、出来上がったのは、魂の抜けた製品と、心まで合理化された企業社会・目の前の金にしか興味の無い企業風土である。

そして私たち日本の消費者も、それに慣れきってしまった。「この程度で十分」「高級とはオラオラ顔だ」「これが高級なんだと洗脳された」——そう言いながら、安さを誇り、粗悪を許容し、思考停止を“美徳”とする。気づけば、質の低下にも麻痺し、劣化した現実を「しょうがない」で受け入れる国民性が定着した。まさに“悪慣れ”の極致である。

ビジネスモデルが全く違うのである、日本は60点商品を商業主義の大宣伝で80点に見せかけて売る。欧州の高級ブランドは必死に99点の商品を作り上げ200点(2倍)の価格で売ると云う差である。真に高級を肌感で知る知識層+富裕層からは日本メーカーの主張する高級は、中国品によくある偽ブランドに感じるんだろう。

余談:家創りでもまったく同じ事が言える!真の高級住宅は生まれながらに超高級住宅に住んだ経験豊富な設計士(肌感で高級を知る人間)にしか設計は不可能なのですね!ハウスメーカーやデザイナーズ事務所のサラリーマン設計士には実現不可能な世界観なのですね!

今の今日本の脅威は中国のニューエコノミーメーカーが金に糸目を付けずに世界から超優秀な技術者をかき集めて99点の商品を作り上げ50点(5割減)の価格で売っても適正利益を出せると云うビジネスモデルで日本とアメリカ以外では大成功、大成長している。

日本人は「努力」「誠実」「技術力」を口にする。だが、それが“ブランド”に昇華するためには、「時間(最低50年余の継承)と一貫性と美意識と哲学」が必要だ。ところが、この日本国ではそれを「非効率」と呼ぶ。

新しいものを追うほど、魂のない商品が増え、“伝統の重み”を笑うようになった。だからこそ、レクシスLLSの終焉は、単なる一車種の終了ではなく、日本のブランド文化が静かに息絶えた瞬間でもある。

皮肉なことに、日本の大企業は「失われたブランド力」を、次のキャンペーンで取り戻せると思っている。
“ポンチュリーを海外展開すれば”といった声もあるが、文化を理解しないままブランドを輸出するのは、“心のない着物ショー”のようなものだ。海外の人々は、その空虚さをすぐに見抜く。

結局のところ、問題は「モノづくりの敗北」ではなく、「精神の怠惰」だ。現実を見ず、改革を避け、問題を先送りにしてきた社会が、静かに自分の未来を切り売りしている。ブランドが消えたのではない。私たちが「誇りを持つ力」を手放したのだ。

もはや“悪慣れ”は国民病である。何が壊れても「まあいいか」と笑い、何も変わらなくても「仕方ない」と受け入れる。だが、その「仕方ない」を積み重ねた先にあるのは、文化の死、技術の死、そして誇りの死だ。

気づけば、私たちは静かに「無音の終焉」へと進んでいるのかもしれないね。

2025年11月10日

ティッピングポイント越えは、もう後戻り不可能・地球沸騰化も戦争国家も!

『その移動、未来行きですか?―AI化も、自動運転も、BEV電動化も、MaaSもを乗り逃す国・ニッポン』

地球は今、湯気の立つ鍋の中。誰もが「ちょっと暑いね」と汗をぬぐうけれど、それが地球沸騰化の前触れとは気づかない――いや、気づかないフリをしているだけなのかもしれません。

アマゾン川の河口都市であるブラジル・ベレンで2025年 11月10日から21日までCOP30(国連気候変動枠組条約第30回締約国会議)が開催されますが、温暖化など史上最大の詐欺と公言するアホトラアメリカも全くのスルーをするどころか「パリ協定」の再離脱を表明して、日本もアメリカに忖度して高市早苗首相も、国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議(COP30)の首脳級会合を欠席!

思い出せば今年の夏も記録的猛暑、ゲリラ豪雨、突風、河川氾濫。もう「異常気象」ではなく「通常災害」です。環境問題は待ったなし。でも、そんななかで、わたしたちはまだ「移動の自由」と引き換えに、エンジン音と二酸化炭素の雨あられや毒ガス(発がんや痴ほう症の原因物質PM2.5等)を振りまきながら走り続けています。

そして今、世界は「MaaS(Mobility as a Service)」という革命を迎えています。北欧ではスマホひとつで移動手段をすべて一括管理。電車もバスも自転車もタクシーも、まとめて“定額サービス”で利用できる世界。まるでNetflixみたいに移動し放題。

フィンランドでは2016年から本格稼働。駅には改札も駅員もなく、アプリ「Whim(ウィム)」ひとつで都市中をスムーズに移動できる。2030年には「自家用車不要社会」を目指すとか。

…一方、日本のマースレベルは?MaaSは未来の乗り物、日本はいつ乗るの?MaaSはレベル0〜レベル4の区分ですね

Level 0 個別バラバラ状態
Level 1 情報連携:ルート検索、運行情報、時刻表、混雑情報などの提供
Level 2 予約・決済連携:複数の交通手段を横断して予約・決済が可能
Level 3 サービス連携:定額制やパッケージ化、複数手段を一体として提供
Level 4 エコシステム構築:MaaSが社会インフラ化し、都市設計や生活基盤と一体化

そうですね。せいぜいレベル0.7くらい。アプリで乗り換え検索ができる程度で「便利になった」と浮かれている段階です。

この“便利なだけの昭和思考”こそ、日本の病。「いつかはクラウン」から「いつまでもクラウン」へ。マイカー信仰は根強く、クルマが家族の一員、いや、下手したら妻より大事というおじさんも珍しくありません。

しかも、交通業界は縦割りと縄張りの温床。鉄道会社もバス会社もタクシー業界も、各々が自分の縄張りを守ることに必死で、連携?責任の所在?…「それ、俺の仕事じゃないんで」と涼しい顔。見事なまでの“役割放棄の美学”が息づいています。

日本では、何かを進化させるときにまず「誰が損するか」を議論します。そして全員が「ちょっとずつ損する」なら、全員で止めるという結論に至る。まるで、沈む船の上で「誰が先に泳ぐか」で揉めている光景です。

本来、MaaSは「移動」だけの話ではありません。都市のCO₂排出の25〜30%を削減し、エネルギー効率を高め、個人任せの危険な交通社会を根本から変える構造改革なのです。

欧州委員会の試算では、都市部で本格導入すれば、自家用車使用は30%減、CO₂排出は60%削減、エネルギー消費は30%削減。これって、脱炭素社会のジャックポットじゃないですか。

注:ジャックポット⇒一回の賭け金に対して、数百倍の配当を一度に得るような大当たりする事

でも日本はまだ、スマホアプリに「運行情報が見やすくなったね」と喜ぶレベル。UIだけ美しくても、中身が旧態依然。まるで、カーボンステッカーを貼っただけの“エコカー気取り”の軽トラです。

「日本は資源がないから、省エネが命」――なんて中学生の社会科の教科書には書いてあります。でも現実は、「今日も元気にガソリン満タン!」の週末ドライブ社会。まるで、沈む船のデッキでバーベキューを始めるような鈍感と無知が共存しています。

交通が便利になるどころか、若者は車も持てず、地方では高齢者が無理して運転し、事故が多発。これはもう“自由の名を借りた放置国家”です。

希望があるとすれば、それでも動こうとしている地方の小さな取り組み。バスとタクシーの連携や、民間企業と自治体のMaaS実証実験…ほんの一歩。でも、日本にとってはその“一歩”が、ナイアガラの滝を逆走する鮭レベルの勇気なんです。

結局、日本は「技術」ではなく「構造」で負けている。そしてその構造の根底にあるのは、「過去が快適だった」という幻想にすがる習性。

時代遅れという名の贅沢病――。その病が進行しきったこの国では、「変化」はいつも“不便”として拒否される。そして、不便の中に未来が詰まっていることに、いつも気づくのは手遅れになってから。

MaaSは、ただの交通手段ではありません。未来へ向かう「乗車券」なのです。

でも日本は、そのチケットを手に入れるどころか、「列車の存在にすら気づいていない」状態。未来の子どもたちに、きっとこう言われることでしょう。

――「少し前に日本と云う国があったらしいよ!」「みんなで茹って、放置されて燻製になりハゲタカに食われたらしいよ!」

2025年11月09日

劇変時代が今後も、さらに過酷になり続ける!

■二極化と悪慣れした社会―変化を恐れ、借金で延命する国・ニッポン

いま、アメリカでも日本でも、経済の支え手は「上位10%の人たち」だと言われている。富裕層10%が個人消費の50%を占め、GDPの3分の1を生み出す。けれど、BCAリサーチが冷静に分析したところ、彼らの懐がいくら膨らんでも、経済はそれほど温まらないらしい。

理由は簡単だ。@彼らは案外、使わない(もう全て有るので使う所が無い)、だから既に何でも持っている富裕層なのである。使うより貯まる方が1万倍も多い。Aしっかり貯めこむと云うより余ってしまう状態。B税金も高い。・・・アメリカの富裕層はもう寄付行為しか使う所が無い!

【日本の所得税負担構造(おおよその目安)】
所得階層 納税者全体に占める割合 所得税負担の割合 備考
上位1% 約55万人(全体の1%) 約25% 平均年収2,000万円超クラス
上位5% 約275万人(全体の5%) 約60% 平均年収1,000万円超クラス
上位10%約550万人(全体の10%) 約75% 年収800万円超程度
下位90%約5,000万人     約25% 多くが給与所得控除で軽減・非課税

(出典:国税庁「令和5年民間給与実態統計調査」、財務省税制調査会資料など)

つまり、上記の納税額から見ても日本人の9割は稼げない人々と云う事が判る。富裕層の財布は温かいが、世の中の空気までは温めてくれない。これが「富裕層依存型経済」の現実である。経済も人間の健康と同じで血液循環がからだ中に常時満遍なく行きわたらないと人間も健康では無いのと同様に、お金も全ての人々に循環しないと健康経済とはならない。

そしてこの構図、日本もまったく同じである。日本の社会は、勝ち組1割と中間組1割、負け組8割にくっきりと分かれた。円安と株高の恩恵を受けるのは輸出大企業と金融業界、せいぜい人口の2割ほど。残りの8割は「物価高の直撃組」で、働けども暮らしは一向に楽にならない。2023年の国民生活基礎調査では、年収300万円未満の世帯が全体の36%を占めた。これでは「少子化対策」などといくら叫んでも、子を育てる余裕など夢のまた夢だろう。

それでも政府は平然と「景気は緩やかに回復」と繰り返す。この「緩やか」という表現、じつに便利だ。転落中でも、速度が一定なら「緩やか」と言えてしまう。もはや日本経済は、ブレーキが壊れた車を「安定走行中」と言い張る段階に入っている。

法人税収は過去最高の72兆円。大企業の内部留保2024年度末時点で637兆円あまりとなり、13年連続で過去最高を更新、だがこれは、円安で稼いだ輸出企業の業績が膨らんだからであり、街の中小企業は息も絶え絶えだ。価格転嫁もできず、人件費も上げられず、「無い袖は振れない」と嘆くうちに、人手も未来も失っていく。いまや「ゼロゼロ融資」の返済が首を絞め、倒産が地獄のように連鎖している。

それでも日銀は動かない。政策金利は0.50%のまま、まるで「寝たふり」だ。かつて金利を上げたときに株価が急落し、「令和のブラックマンデー」と呼ばれたあの日以来、トラウマが抜けない。学者出身の総裁や委員たちは名誉職に近く、「リスクを取る」より「波風を立てない」ことを選ぶ。責任を取りたくない人たちが、多数決で未来を決めている。そうして今日も、「どっちつかず」で「見て見ぬふり」の政策が続く。

結果、国の借金は天文学的な水準に膨れあがった。GDPの2.4倍。金額にして▼1415兆円超。しかも51%は日銀が買っている!日銀ももう日本の強烈な現在の物価高を考えればもう買えない!「日銀が国債を買う=円安=物価高」と確実になる。

日銀はアホノミクスの毒が回り始めて日本国債を売らなければ毒素の影響は深刻な状態となるので日銀は買うどころか売りたいのですね!!!故に借り換え分を含めて新規発行の買い手が不足する恐れが大!⇒金利高となる可能性が大きい。

日本国の官民合わせての総借金は▼3182兆円、こんな状態で1%でも金利を上げれば、金利負担は長期的には年間▼31兆円(消費税換算13%分)増える事になる。もはや数字というより、宗教に近い。日本人は「借金も伝統文化」と言わんばかりに、増えるたびに慣れていく。まるでツケを孫にまわすのが親孝行の一部であるかのように。

この「悪慣れ」は恐ろしい。長時間労働にも、低賃金にも、物価高にも、増税にも、私たちは慣れてしまった。慣れた結果、「怒る力」を失い、「変わる勇気」をなくした。気づけば、「現状維持」が唯一の安心になっている。だがその現状こそが、ゆっくりと沈みゆく船の上なのだ。

アメリカではすでに「上位10%が経済を支える時代の終わり」が論じられている。富裕層だけでは経済は回らないと。一方、日本は「上位2割の幻想」にすがりつく。「勝ち組が頑張れば何とかなる」という昭和的信仰がまだ生きている。アホノミクスで主張していたトリクルダウンなど1oも起きなかった!

だが現実は違う。勝ち組が消費を増やすよりも、負け組が倒れるほうが速い。経済は上から支えるものではなく、圧倒的に数が多く消費性向の高い下から支えるものである。

もしこのまま、変化の痛みを恐れて借金で延命を続けるなら――やがて日本は「豊かな国のふりをした貧しい社会」として、静かに終わるだろう。だが本当の終わりは「破綻」ではない。「気づかないまま沈むこと」だ。

もしかすると、私たちはもう、すでにその途中にいるのかもしれない。こんなデタラメの沈没確実の日本にしてしまった糞政治やの支持率が最大と云う現実が・・今の日本人の強烈な劣化度を証明している!日本人の思考停止と劣化は犯罪レベルである。

大変で過酷な時代が始まって居ます。今後ももっと大変になるでしょうね!貴方はどう生き延びますか?

日本は財政が破綻国を除いて世界一悪い!でも変動金利?

借金に悪慣れした国と、変動金利に人生を預ける若者たちへ!金融リテラシー皆無のローンの危険性!

「住宅ローンは変動が一番お得ですよ」――銀行の窓口でそう言われ、夢のマイホームを手に入れた若い世代。だが、その「夢の金利」はすでに金利上昇不可避の今となり目覚めの悪い現実に変わりつつある。

令和5年度の新規住宅ローン貸出額は20兆2816億円。そのうち84.3%が変動金利。固定金利期間選択型・9.0%を入れれば変動性の金利は実に93.3%にも及ぶ!まさに狂気のレベルである。日本以外の幼い内から金融教育の行き届いた主要国の住宅ローンは圧倒的に全固定金利が多い。

日本では、つまり10人中9人以上が、金利上昇という時限爆弾を抱え込んでいる。固定金利はわずか6.6%。これほど多数派が「変動」を選ぶ国も珍しいどころか他に無い。金融リテラシー皆無の国民性が、ここまで数字に表れてしまうと、もはや笑うしかない。

笑えないのは、この国の未来だ。日本の債務残高は2025年第2四半期時点で▼3182兆円。政府▼1415兆円、家計▼398兆円、企業▼1369兆円。世界全体でも借金は▼338兆ドル、約▼5京円。人類が「紙幣の洪水」で浮き輪もなしに泳いでいる状況で、日本はその中でも見事な「借金依存症の優等生」だ。

そして問題は、これほどの借金漬け国家が、金利上昇に耐えられる体力を持たないことだ。もし国債が市場に売り込まれれば、日銀のアホノミクスで始まった「金利コントロールごっこ」は簡単に崩壊し、変動ローンの返済額は雪だるま式に膨れあがる。だが私たち日本人は、そういうリスクを薄々知っていながら「まあ大丈夫だろう」と慣れてしまう。「悪慣れ」である。

仮に強引に日銀が「金利コントロールごっこ」を継続すれば円安と強烈なインフレになり生活費は金利増より爆増するので・・同じ事どころかさらに悪くなる。

実際に相談現場では悲鳴が上がり始めている。埼玉県川口市で4910万円を借りた30代夫婦は、金利が0.03%上がっただけで毎月6000円負担増。滋賀県のBさんは変動金利が0.525%から0.925%に跳ね上がり、酒代を削る生活に。借り換えを試みたCさんは、担保価値低下で銀行に断られた。

1億円越えのタワマンなんて考えたら身の毛がよだつ!!!人生最大の買い物が、まるでカプセルガチャのような運試し(9割以上負け予想)になっている。

健全な国の住宅ローン金利は5〜6%程度が普通となっている。そもそも論として日本の変動金利が0.525%なんて金利は低位異常であり、その常識的金利5〜6%程度の差額分の「リスク=円安とインフレ=生活苦」を自分で背負いこんでいる事になる。異常な低金利が負荷をドンドン増し続けて、日本は限界点迄きてしまった。こんな超簡単な原理原則さえ日本の若者の9割以上は知らない。

ちなみに私が1995年に家を買った時の変動金利は8%であった。10年で全額返済した。弊社で不動産を買われる方の99.9%は全固定金利である。変動金利0.1%は親が大金持ちで支援可又は仕事が金融機関

なぜこんなリスクリテラシー皆無の国になったのか。それは私たちが「問題先送り」に慣れすぎたからだ。財政赤字も年金も原発も同じ。とりあえず今をしのげればいい。子や孫の世代? その頃には別の総理大臣が「新しい資本主義」とか「未来への投資」とか言って誤魔化してくれるだろう、と。悪を許容するこの国民性が、住宅ローン問題にもそのまま投影されている。

しかも、時代はAIが人間の職を奪う未来に突き進んでいる。織機が職人を追い出したときは別の仕事が生まれた。しかしAIは違う。頭脳そのものを置き換える。専門家は「普通の仕事の最大80%はAIに代替される」と予測する。収入が不安定になる未来が見えているのに、40年ローンを変動金利で組む――これほどのギャンブルを「常識」と信じてしまうのだから、日本人はやはり独創的だ。

返済に追われる30代40代が「酒を減らす」「買い物を我慢する」程度で乗り切れるならまだいい。だが、金利がさらに倍になれば? そのときは、マイホームが「負債ホーム」へと変わり、家族の生活を締め付ける首輪になる。しかも銀行は「担保価値が下がったので借り換えはできません」と冷たく突き放す。まるで、自転車の補助輪を外してくれると約束したのに、崖の上で手を離すようなものだ。

こうして「夢のマイホーム」が「呪いの石像」へと変わる。日本社会の矛盾は、誰もがそれを知りつつ、声を上げないことにある。政治家は票を失うから本当のリスクを言わない。銀行はノンリスクで利益になるから変動を勧める。国民は「周りがみんな変動でやっているから」で流される。結局、この国は「問題先送り」という伝統芸能を守り続けているのだ。

だが、そろそろ限界が近い。借金に悪慣れし、危険を危険と認識できなくなった社会に待っているのは、静かな破裂音だ。金利上昇は「もし」ではなく「いつか必ず」訪れる。AI時代の失業も同じ。未来は待ってくれない。

私たちはそろそろ、こう問いかける必要があるのではないか――「それでも変動金利に人生を賭けますか?」と。

2025年11月08日

これがぼやかずにおられよぉ〜〜〜かぁ〜

街の土地強烈に余る時代の不動産屋のオヤジのボヤキ ―「数字の分母を山にするなよ」

いやぁ、ほんと笑っちゃうよな。ニュースで「日本の土地が余る」って言ってたけど、よく聞きゃ“全国面積の0.6%”とか言ってんだ。そりゃ山も森も入れりゃ、たいしたことないように見えるわな。でもな、実際に人が暮らしてる「市街地」だけで見りゃ話がまるで違う。

日本列島の面積は約37万8,000平方キロ。でもそのうち住宅や商店、工場が建ってる“街”ってのは、たったの1万5,000平方キロほどしかねぇ。つまり日本の土地の95%は山と田んぼと森。人が住んでるのは、ほんのわずかだ。

でな、そのわずかな街の中で起きてるのが「空き地の洪水」だ。車が減る。3年後に1割減、10年後には半分になるって計算だ。車1台分の駐車スペースは通路込みで30平方メートルだから、全国で2,300平方キロが空く。そこに空き家の敷地1,080平方キロを足すと、合わせて3,380平方キロ。これ、数字だけ見たらピンと来ないかもしれねぇが、市街地全体の22%分にあたるんだ。

つまり、街の中の5分の1が“余る”ってことさ。おっかない話だろ?でも、国の報告書じゃ「全国の0.6%程度」ってサラッと書いてある。いやいや、分母を山にするなよ。山の上に家を建てる奴なんていねぇんだから。

豊橋の駅前等の商店街でもそうさ。昔は駐車場探すのにぐるぐる回ったけど、いまじゃガラガラ。月極「満車」から「満空」だ。それでも地主さんは「すぐ埋まるはず」って値下げしねぇ。信じてるんだよ、昭和の奇跡を。でも奇跡ってのは、一度きりだから奇跡なんだ。

こういう現実を突きつけられても、行政は「検討します」の一点張り。もう口癖だな。国も自治体も“検討のプロフェッショナル”。気づけば、街全体が「会議室の化石」みたいになっちまってる。

学者の論文じゃ「市街地収縮時代」とかカッコいい言葉で呼んでるけど、現場から見りゃ、ただの「抜け殻の街」だよ。夜になりゃ灯りが消えて、猫と風しか歩いてねぇ。

でもね、俺はまだ少しだけ希望もある。空いた駐車場に畑を作ったり、空き家をカフェにしたりしてる若い連中が出てきた。彼らは補助金じゃなくて、自分の手と知恵で街を作り直そうとしてる。そういうのを見ると、「土地ってのは人が使って初めて価値になる」って改めて思うよ。

結局、土地も人も同じだ。動かなきゃ腐る。使わなきゃ錆びる。この国の問題は、余ることじゃなくて、余らせたままにすることなんだ。

まぁ、不動産やの親父のボヤキなんて誰も聞いちゃいねぇけどな。でも覚えとけよ!国の役人!数字の分母を山(ごまかす為に)にしてるうちは、日本の未来は登山道の途中で足踏みしてるまんまだ。

ホント、大激変の時代なのに・・全くステイしたままの日本人が心配になるよなぁ〜〜〜

貴方はどう思いますかねぇ〜〜〜

2025年11月07日

フィジカルAI時代の到来が2026年中頃より始まる!

「ロボットに教わる、人間の働き方」

近未来の人型ロボットの市場予測は、たったの2兆円からエヌビディアのジェンスンファン氏30億台の7500兆円迄(今の自動車産業の約10倍)ととてつもなく差がある。

気がつけば、私たちの社会では「働く」という言葉の意味が、少しずつ薄れてきた。かつては汗と油にまみれてこそ「仕事」と呼ばれたが、いまや産業用ロボットが24時間、愚直に、文句ひとつ言わずに働く時代だ。
彼らは休まず、過労死せず、給料も要求しない。なんと羨ましい“社員”であろう。

人間が「Dirty・Dangerous・Dull」の3D作業を嫌った結果、ロボットが「Detailed(精密)」という4つめのDまで背負ってくれるようになった。人類が怠けた分だけ、機械は賢くなる。そうして今日も、金属の腕が静かに人間を超えてゆく。

もっとも、日本の工場では「人を大事にする」と言いながら、その人の仕事はロボットに置き換えられていく。皮肉なことに、“人手不足”が“人の居場所不足”に変わりつつあるのだ。
しかもロボット導入の決め手が「人より安い」だという。企業倫理とは、いつから電卓の中に宿るようになったのだろう。

そして我々もまた、それを黙って受け入れている。
「効率化だから仕方ない」「少子化だから当然だ」と言い訳を並べ、結局は“楽になるなら悪でも許す”という悪慣れに沈んでいく。

もはやロボットのティーチング(動作を教える作業)すらAIが肩代わりする時代。人間がロボットに教えていたつもりが、いつの間にかロボットが人間の管理法を学んでいる。
近い将来、「上司AI」「部下ロボット」「間に挟まる中年正社員」という構図が、笑えない現実になるかもしれない。

中国では、すでに人型ロボット「K2(Bumblebee)」が量産されている。身長175センチ、体重75キロ、52カ所の関節を持ち、わずか1時間の充電で8時間働くという。日本人より働き者だ。
しかも彼は、GMや上海汽車の工場で実証済み。疲れ知らずで、クレームも出さず、30キロの荷物も軽々と持ち上げる。もしこれが「理想の社員」だとしたら、人間はどこで存在価値を証明すればよいのだろう。

この流れを「テクノロジーの進歩」と呼ぶのは簡単だ。しかしそれは、便利さに酔って自分の役割を手放すことの言い訳にもなる。
「AIがやってくれる」「ロボットが正確にこなす」──そう言って私たちは、考える力や責任感を少しずつ譲り渡していく。気づけば社会全体が「自動運転モード」のまま惰性で進み、誰もハンドルを握らない。

かつて日本は、手仕事の国だった。ひとつのネジに魂を込める職人がいて、その誇りが製品に宿った。だがいまは、魂よりもセンサー精度のほうが評価される時代である。
「精密」「正確」「効率的」──その裏で、人間の曖昧さや不器用さが、まるで欠陥のように扱われている。

だが本当は、人間の「ムダ」こそが文明を支えてきたのではないか。
恋をして失敗し、遠回りして後悔し、間違って学ぶ──そんな非効率の積み重ねが文化を生み出した。ロボットが完璧に働く社会は、確かに便利だが、どこかで“心”の居場所を失う危うさを孕んでいる。

このまま日本が「無人化」「省人化」を“国是”として突き進むなら、最後に残るのは、誰もいない完璧な社会かもしれない。
すべてが自動で動くが、誰も笑わず、誰も間違わず、誰も責任を取らない。そこでは、機械だけが生き生きと働き、人間はただ「監視」するだけ。まるで自分たちが造った檻の中で、ロボットに見守られて暮らす動物のようだ。

もしかすると、ロボットよりも先に「人間の心」がオフライン化しているのかもしれない。
働く意味を失い、考える習慣を手放し、ただ「便利だから」という理由で未来を明け渡す。──そう、悪はいつも静かに、便利の顔をしてやってくるのだ。

そして我々は、その悪に慣れすぎている。
「仕方ないよね」「時代だから」とつぶやきながら、今日もどこかの工場で、金属の腕が人間の誇りを締めつけている。
このままの“悪慣れ”が続けば、次にティーチングされるのは、きっと私たち自身の心だろう。

2025年11月06日

AI時代をキャッチアップ出来ないと・・・

ヒト型ロボットが工場で働く時代が、もうすぐそこまで来ているという。AIロボカーがガンガン走る未来が確実に実現をイメージ出来る所迄時代は来ている。AIロボカーは人を乗せて移動するAIロボットなのですね!

人型ロボットは人手不足を埋める救世主として期待され、市場は2030年代には10兆円規模に膨らむらしい。だが、思わず苦笑してしまう。ロボットが不足を埋める前に、私たち日本人の「判断力の空白」を埋めてほしいと願うのは、きっと私だけではないだろう。

かつて「モノづくり立国」と胸を張ったこの国は、今やロボットより遅く動く。人材育成は予算削減の常連項目、現場の知恵はマニュアル化で失われ、AIに学習させるデータすら整理できない。それでも「伝統」と「現場力」の言葉をお守りのように唱え、変化を先送りする。

その間に、アメリカではAGI(人工汎用知能)が2年以内に誕生すると言われ、中国では超知能を国家戦略として量産中だ。日本ではまだ「生成AIをどう活用するか会議」が永遠に続いている。

そして恐ろしい事にAGI(人工汎用知能)は人間しか持てないとされたEQ力さえ身に付け、自ら考え、自ら相手をイメージして、最適解を提案して来ると云う。事象の多くを認識し、未来を推定して、未来に起きえる事を理解して事前に準備さえ簡単に出来る様にもなる。

現在ヒト型ロボット1体の価格は現在約770万円。これが「価格が5000〜1万ドル(約77万円〜154万円)程度まで下がれば、この業界はオートメーション(自動化)からオートノミー(自律化)へとシフトする」激動となる“大転換点”だという。そして、そのフィジカルAIヒューマノイドの知能は+200万円も出せば、全てのノーベル賞学者の知能さえ上回る知能を提供してくれる。

だが、すでに私たちはもっと高価な「非効率」というロボットの形をした非効率な肉体(動物的)を既に何千万体も抱えている。省庁間のハンコの受け渡し、FAXで送られる書類、デジタル庁の紙の会議。これらを自動化するだけで、GDPは数十兆円分跳ね上がるはずなのに、なぜか「前例がない」と止まる。もはや日本社会そのものが、人間型のレガシー・ECUがサルレベルのタンパク質で出来たロボットなのかもしれない。

実現が2年後と言われているAGIの覇権争いでは、米国、中国、巨大テック企業、そしてオープンソース勢がしのぎを削る。勝者が世界のルール(社会のOS)を握る。だが日本はそのどこにもいない。議論よりも“様子見”、戦略よりも“根回し”を優先し、AI開発よりも予算執行の「消化率」を気にする。人間がAIを支配するか、AIが人間を支配するか——その二択の前に、日本は「誰も責任を取らないまま、なんとなく共存」する第三の道を選びそうだ。

工場でのヒト型ロボットは、再設計せずに既存の環境に溶け込めるという。皮肉なことに、それはまるで日本社会にぴったりだ。新しい制度や価値観を作るより、「古い構造に合わせる」ほうが安心する国民性。だからこそ、ロボットは受け入れられても、改革は受け入れられない。悪慣れした組織は、まるで“人間の形をした惰性”だ。

AIの研究者ベン・ゲーツェル博士は「超知能(ASI)は避けられない」と言う。もしそれが本当なら、ロボットが人間を超える日は遠くない。だが私たちは、それを恐れる前に、自分たちがすでに思考を停止した“半自動人間”であることを思い出すべきだ。政治家はAIの危険を語りながら、AI以下の判断力で国を運営し、国民はAIに職を奪われると嘆きながら、AIより安く働くことを誇りにしている。

人類が作る最後の発明がAIだというなら、日本人が作る最後の発明は「責任の所在不明システム」かもしれない。悪慣れとは、悪を悪と認めなくなること。問題を先送りし続けた社会は、やがて未来そのものを先送りにしてしまう。

ロボットが人間を超える日、それはきっと“効率”の問題ではなく、“誠実さ”の問題だ。世界が新しい知能を育てる間、日本は変化を嫌い現状維持の古い言い訳を育てている。もはやAIに学ぶべきは技術ではなく、変化を恐れぬ勇気そのものなのだ。

AI時代を真剣に考えずに全くと言って良い程投資をしない。そんなリーダーは取り換えないとダメなのに、日本人はそれもしない。恐ろしき思考停止の民族ですね・・ホント・・・ガックリ

民主主義が機能しなくなり、最大の負の部分が顕在化する

原理原則無視+ポピュリズム国家の危機 〜法の支配を失えば、温泉も沸かなくなる〜温泉の枯渇した温泉地日本となる。

世界は今、民主主義の期末試験を受けている。採点官は、よりによって米国第47代大統領・ドナルド・トランプ氏。アメリカはすでに「民主主義の模範」から「民主主義の破壊モンスター」に格下げされ、毎日が政治リアリティショーだ。

有名アナリストがアホトラ氏の法律無視は、毎日ウオーターゲート事件が起きて居ても、国民もマスコミも慣れてしまって善悪の感覚が麻痺して居る様だと・・言っていたのが印象的であった。

注:ウォーターゲート事件は、1972年にリチャード・ニクソン大統領の再選運動中に発覚したアメリカの政治スキャンダルです。この事件は、民主党全国委員会本部への不法侵入と盗聴器設置に始まり、ニクソン政権による隠蔽工作が明らかになり、最終的にニクソン大統領が辞任した。

今のアホトラ氏は明確に法律違反、憲法違反、脱法行為が状態化している。悲しいかな日本もアホノミクス以来、この状態が続いている。

欧州でも、フランスやドイツの政治は極右の突風に揺れ、政権はジェンガのように積み上がっては崩れている。しかもこの揺らぎは、遠い海の向こうの話ではない。民主主義の優等生だった国々が次々と落第していくのを、日本も極右や無責任のポピュリズム政党が大人気である。

確かに政治への不満が新しい勢力を呼び込むのは自然だ。1968年の学生運動だって、当時は「世の中を壊す若造」と叩かれたが、環境や人権の意識を高めた。しかし、今の急進勢力の一部は、家をリフォームするどころか地盤ごと掘り返そうとしている。SNSで「我々こそ真の国民」と叫び、法の支配を力づくで塗り替える。まるで暴走列車の車掌が「次は終着駅・無法地帯です」と笑顔でアナウンスしているようなものだ。

歴史は何度も警告をくれる。第一次世界大戦後の混乱と世界恐慌が、過激主義を議会に呼び込み、ナチスが登場。破壊と敗北を経て、ようやく自由民主主義が築かれた。日本の戦後憲法もその流れの産物だ。しかし2025年の今、その基盤は軋み、司法の独立は政権の便利ツール扱い。

選挙結果すら認めない空気がじわりと広がる。ドイツは2024年末、憲法改正で連邦憲法裁判所を守ったが、日本では「そもそも裁判所って何するところだっけ?」と本気で言う政治家がいても驚かない雰囲気だ。

日本では三権分立は当の昔に破壊され、最近では裁判所迄憲法違反の判決を下す事が状態化している。

そして、この国特有の毒は「先送り文化」である。政治改革も財政問題も少子化も、「未来の日本人」がやってくれると信じて、現役世代は温泉気分で湯船に浸かる。気づけばお湯の色はにごり湯を通り越して泥水を超え腐敗臭が漂う。借金は世界最大級、人口は急減、インフラは老化。にもかかわらず選挙では「見慣れた顔」に投票し、変化を拒む。「悪慣れ」もここまでくると文化遺産だ。

経済格差も地方衰退も、SNS上の憎悪拡散も、世界が同じ病を抱えているのは事実だ。ただ、日本の場合は治療より鎮痛剤、しかも効き目が切れかけたものを延々リピート。メディアは危機を特番で煽るが、翌週には新作スイーツ特集。国民は「まあ、何とかなる」で深呼吸。火事場でお茶をすすり、「火の粉がこっちに来なければOK」という精神が、民主主義の芯をじわじわ腐らせる。

本来、民主主義はスポーツマンシップで成り立つ。多数派に負けたら結果を受け入れる、異論はルール内で戦わせる。しかし今は、分断を煽る側と、それを「どうせ変わらない」と冷笑する側が共犯関係にある。SNSは炎上商法の大繁盛市場、理性より怒りがバズを呼ぶ。こうして「法の支配」は、政治家の手元で都合よく形を変える粘土細工になる。

日本はまだ外見は崩壊して居ない様に見えるが中身(精神)はもう腐りきっている。だが戦後体制の土台にはヒビが入り、他国の失敗例は目の前に山積み。にもかかわらず、「自分たちは特別だから大丈夫」という自己催眠を続けている。これは茹でガエルというより、カエルが自ら温泉地の詐欺の観光大使を務めているような状態だ。

だからこそ、今こそ冷水を浴びる必要がある。分断を煽るより、共通の基盤を修復し、連帯を再生させる。政党もメディアも、SNS時代の信頼を作り直し、法制度も昭和仕様からアップデートしなければならない。そして何より、国民一人ひとりが「先送り」という麻薬から足を洗わなければならない。とてつもない苦痛を伴う禁断症状が出る事を覚悟する必要がある。

民主主義と法の支配は自動運転では走らない。それは、毎日手入れが必要な盆栽のようなものだ。水やりもせず、形も整えず、「まだ緑だから大丈夫」と放置すれば、気づいた時には根が枯れ。最悪、盆栽も窓も家も、まとめて粗大ごみと化す。ゴミ処分会社の名札に「第47代米国大統領」「中国共産党習近平」と書かれていたとしても、もう文句は言えないだろう。

とにかく、人類の歴史上最大の負の大転換が始まる今後の5〜10年となるのだろう。恐ろし過ぎる近未来に今から準備をしましょう。

2025年11月05日

自動車に人生を搾取される日本人と云う生き物の不思議

日本人の「クルマ信仰」は、もはや宗教の域にある。人生のうちで自動車に費やす総コストは約6000万円──ガソリン代、税金、保険、車検、駐車場代、そして買い替え費用。しかもその多くが「所有する安心感」という、実体のない価値に支払われている。

対して、世界は“移動そのもの”を所有からサービスへと切り替えつつある。ロボタクシーが普及すれば、個人が車を持つ意味はほぼ消える。テスラの試算では、自動運転EVによる移動コストは1kmあたり20円以下。1人あたり年間1万km走るとしても、年間20万円、40年間で800万円だ。つまり、日本人がクルマに捧げる6000万円の人生コストのわずか1/7で、同じ移動をまかなえる計算になる。しかも燃料代も整備費も不要、事故率も大幅減。AIが運転する時代には、「運転免許」そのものが化石になる。

日本の自動車税は世界的に見てもとても重い!日本では、自動車にかかる税金がとても多く、現在9種類もあります。自動車税(環境性能割)、自動車税(種別割)、自動車重量税、揮発油税・地方揮発油税、軽油引取税、石油ガス税、さらに消費税(車体分・燃料分)などです。税金に税金が上乗せ課税される不思議な状態が今の日本の自動車関連税です。

英国の・・約1.4倍
ドイツの・約3.4倍
フランスの約9.5倍
米国の・ 約23.4倍にもなっています!

点検から車検から高速代まで・・クルマの維持費は世界最高の費用が掛かるのが日本です。

それでも多くの日本人は「クルマは自分で持たなきゃ」と言い張る。月々のローン、ガソリン、駐車場代にため息をつきながら、週末には「ガソリン高いな」とぼやく。そう、これはもはや経済ではなく“悪慣れの文化”だ。便利であることより、変わらないことに安心を覚える。技術の進化より、「いつもの販売店」で買う安心感を選ぶ。

一方、アメリカや中国ではロボタクシーの実証運行が進み、2026年には都市インフラ化の見通しだ。BYDやテスラ、百度(Baidu)は自動運転AIを実装済みで、車両単価は200万円台にまで下がり始めている。ロボタクシー1台が10年間稼働すれば、1台あたり生涯コストは200万円+電力代数40年+AIシステム利用料200万円・生涯移動コスト800万円。これは1人の日本人が支払う今現在の生涯自家用車コスト6000万円のわずか13%。にもかかわらず、日本では「法整備を慎重に検討中」という呪文が繰り返されている。

生涯を通してロボタクシーを使っても800万円程度、自分で車両を保有しても800万円、同じ1/7の激安となる。さらに自家用ロボタクシー車なら・・空き時間にお金を稼いできてくれて利益が出て実質無料となる。

こんな簡単な事を理解しようとしない、この慎重さ(愚鈍)こそが、日本最大の浪費である。変化を遅らせるために、国家と国民が膨大なコストを払っている。地球は沸騰し、都市はヒートアイランド化し、渋滞と排出が日常の風景となった。それでも「まだ早い」と言う。実際は、“遅すぎる”のだ。

欧州では2040年までに個人所有車が大幅に減ると予測され、米国の都市部では、すでに始まって居るロボタクシーが2026年中ごろには爆増して、公共交通の一部として定着する見込みだ。将来的には移動コストは20円/kmを切り、広告やサブスクリプション収益で“無料移動”も可能になる。日本人がクルマに費やす6000万円は、すでに「未来への支出」ではなく「過去への供養」である。

車を所有する自由はもちろん否定しない。しかし、所有することが「前提」であり続ける社会は、効率も倫理も時代に取り残される。AIが安全運転をし、走行中に発電し、クラウドで最適経路を共有する時代に、私たちはまだオイル交換の心配をしている。

地球の温度は上がっても、日本人の価値観は凍ったままだ。ロボタクシーが普及すれば、6000万円の移動コストは800万円になる─そして無料にもなる─それでも動かない社会。

つまり、燃費が悪いのは車ではなく、この国の意思決定そのものなのだ。簡単に言えば”頭が悪い”と云うダケの事である。

日本の法律が日本人を虐待する時代が到来しそう!

■AI時代のAI化主要国最遅の国家ニッポン ― とうなる2030〜2035年“AI時代”を見送る島国の末路

昨日、ユーチューブで中国のニューエコノミーBEV企業の今の工場の映像と日本の大企業の今の工場の映像を見比べてガクゼンとした。中国企業の工場には人が殆ど居ない!日本企業は30年前と同じ人だらけ!ちなみに日本の大企業の方が企業規模は数倍も大きい!

みなさん、時代はもう確実にAI時代です。そして生き残る唯一の方法は、「AIをうまく使うこと」ではありません。“AIと共にまったく新しい価値を生み出せる力”を持つことです。

日本の時代無視の教育の大学入試も典型だ。全員が同じ問題を解く「一斉テストの平等」は、もはや“創造の敵”である。AI時代に必要なのは「正解を出す力」ではなく「正解をつくる力」なのに、日本では「間違えること=恥」の文化がいまだに支配的だ。子どもが失敗すれば「将来が心配ね」と眉をひそめ、大人が挑戦すれば「出る杭」として打たれる。結果、社会全体が「出ない杭」で安定する。

今までの労働価値はソリューション!問題解決、カイゼンが価値を持った!しかしAIがそれを全部引き受ける。そしてこれからの労働の価値・人間価値は・・”新しい価値創造”である。

生成AI(人工知能)、知能ロボット、自動運転、インターネットなどが生まれた時には目の前に解くべき課題があったのではない。自ら全く新たな価値(こんなの良いじゃん)を構想し、実際に機能するシステムを組み上げ、そのシステムが社会に受け入れられたことで新たな真の価値が生まれた。

AIは、現在でも世界の研究者が10年かけて積み上げた成果を、わずか2日で再現する。つまり、努力と根性の物語は、もう終章を迎えました。人間が汗を流して試行錯誤している間に、AIは静かに「結果」だけを積み上げていくのです。さらにこのAIのスピードはAI進化と共に指数関数的に上がります。人間の研究の努力の10年がAGI時代には10分になる可能性も有り得る!

もうAIが進化し始めて、プログラムコードをAIが書き始めました、これからたった2年でプログラムコードなど人間がする仕事では無くなります。あらゆる職業の”普通の人”の仕事をAIで代替え出来る時代になるのです。普通の医者も普通の教授も普通の弁護士も普通の不動産屋も、普通と名が付けばすべてが不要になる時代が到来します。

日本でも今年ノーベル賞受賞の学者が2名出ましたが・・昭和の根性論⇒諦めない力⇒継続力・・を強調して居ましたがAI時代には、その価値は霧散する可能性が高そうです。発想する力のみになりそうですね!

では日本は、どこを向いて歩いているのでしょう。教育は昭和の黒板のまま、企業は年功序列のまま、政治は「とりあえず検討中」。AI時代を迎えるにあたって、私たちは“準備中のまま本番”に突入しようとしています。

昭和の古すぎる受験戦争を勝ち抜いた人々が、令和のAI戦争を指揮している――この構図自体が、すでにコメディです。「文理分け」などという概念をいまだに信じ、科学を知らないリーダーが技術を語り、AIを使ったことのない政治家がAI規制を論じる。まるで、彼らの議論は、さながら「箸の持ち方を知らない人が料理法を語る」ようなものだ。

しかし、この滑稽さを笑っていられるのは今のうちです。AIヒューマノイドが量産されれば、彼らの“時給”はわずか57円。10年もすれば、量産モデルは20円台で24時間働く。休まず、文句も言わず、労働基準法にも引っかからない。――日本の理想の社員像、ついに完成、です。

AIヒューマノイドが社会に実装されれば・・時給57円〜200円程度の労働者となります。早ければ5年後、遅くとも10年後には確実視されています。

想定される“時給換算”

仮に以下の条件で計算してみましょう。

AIヒューマノイド購入価格:200万円(中国系)・・現在でもまだ、幼稚だがこの程度前後の価格

耐用年数:5年(=約43,800時間:24時間×365日×5年)

電気代・整備費など:年間10万円(5年で50万円)

すると、総コストは 250万円 ÷ 43,800時間 ≒ 時給57円 になります。

つまり、ヒューマノイドの時給は約50〜60円相当。今後、量産によって本体価格が100万円台、耐用年数が10年に伸びれば、時給20円台まで下がる可能性があります。

日本の法律では日本人の最低賃金を1,121円に決め、1500円程度にするとの事です!貴方が経営者なら同じ仕事、むしろAIヒューマノイドの方がミスなく確実な仕事をする!自給20〜25倍の人間使いますかねぇ〜

AIヒューマノイドの頭脳とAIロボタクシーのECUは、ほぼ同じモノが使用可能です。テスラのECUは2025年末頃に 現在のHW4.0(ハードウェア 4.0)から約40倍の性能のHW5.0となり、それからほぼ1年毎程度にHW6.0⇒HW7.0⇒HW8.0(宇宙船に使えるレベル)に進化するとテスラ社はすでに設計を開始したと発表しています。

人間がAGI又はASIに代わられる時代の、2030年前後とは、実のところ「時給50円時代の幕開け」でもあります。AIが安すぎるのではなく、人間が高すぎるのです。しかもその人間時給の“高さ”は、知恵でも技でもなく、非効率さと会議時間の長さ(壮大な無駄)に支えられている。ここに、私たちの悪慣れが凝縮されています。

問題を先送りにしても、AIは待ってくれません。「10年ひと昔」は昭和の話であり、日本以外ではもう遠の昔に終わっています。10年ひと昔(1990年頃・昭和の話)⇒5年ひと昔(2000年頃)⇒3年ひと昔(2010年頃)⇒1年ひと昔(2020年頃)⇒今2025年10月時点では”3カ月ひと昔”の時代に恐ろしい時間ロスですね!このスピードに、社に持ち帰り「検討します」の連続(数カ月)で応えようとする国がほかにあるでしょうか。

世界の最先端国では、すでに決定権の無い人間が商談に参加するなんて事は有り得ない事なのですね!社員は自分が決断し1つの失敗でクビをかけて皆々は働いています。日本人は「一度社に持ち帰り検討してお返事します」が常套句となり、こんな事を何度も何度もする事が商談(仕事)だと錯覚しています。

現状、アメリカでは、IT人材の65%が一般企業に所属しています。一方、日本ではその逆。IT企業の中にIT人材が74%閉じ込められ、ユーザー企業には26%しかいない。つまり「ITを使う側」が技術を知らず、「技術を作る側」は現場を知らない。結果、日本のDXは“見た目だけデジタル”という、哀しいコスプレ状態です。

教育も同じです。日本の入試は、全員に同じ問題を出し、同じ答えを出した人を褒める。「正解を出せる子」は育つが、「正解を創る子」は育たない。つまり日本では「未来を創る人間」は育たないと云う事です。AI時代に必要なのは後者なのに、教育制度は前者を磨き続けている。この国では、創造力より“空気を読む力”が評価されるのです。

でも、時代はもう待ってくれません。AIが社会に完全実装された時、人間に残る仕事は「価値を構想し新たな価値を生み出す力」だけです。誰も見たことがない未来を想像し、そこへ一歩を踏み出す勇気。それがないなら、私たちはAIの監視下で、“人間らしく見えるだけの存在”として暮らすことになるでしょう。

この国の最大の病は「悪意」ではなく「悪慣れ」です。問題を知っても声を上げず、改革を望んでも動かず、「誰かがやってくれるだろう」と微笑むうちに、未来は静かに遠ざかっていく。

みなさん。この国の未来を守るのは、テクノロジーではありません。**“考えようとする意志”**です。
AIがどれほど賢くても、考える責任だけは、まだ私たちの手の中にあります。それを放棄した瞬間、自ら思考しない日本人の様な人間の時給は――20円です。

資源らしい資源の全く無い日本は・・今始まって居るAI時代は一番の被害を受ける事になりそうですね!

2025年11月04日

いくら超高性能な歯車でも、それ1個では全く無価値

日経平均が5万2千円だって? すごい数字だよなあぁ〜〜〜。だけどコンビニの弁当は高くなる一方で、給料は上がらない。正直、株価のグラフより冷蔵庫の中身の方がリアルだ。テレビが「日本経済は力強く回復」なんて言ってても、どこの日本の話なんだって思う。庶民の体感温度は、まだ真冬だよ。

A. 株高は“選ばれた人たち”だけの運動会
政府がAIと半導体を「国家戦略産業」だって持ち上げてる。2030年までに10兆円の支援、官民で50兆円投資、経済効果160兆円? まるで数字の打ち上げ花火だ。でも現場の企業のAI力は先進国で最下位クラス。結局、ラピダスに1兆円、TSMCに4760億円と、札束は一部のエリート企業にだけ降る。地方の中小企業? 補習もなしの置き去り状態だよね。

今後Ai化の進展と共に日本の企業は息の根がドンドン止まる事も確実な未来だよねぇ〜、AI時代には日本の企業の殆どの”多重下請けビジネスモデル”なんて全く通用しなくなるなんて事は、中学生でも簡単に判る事だよね!

まさに勝ち組ニューエコノミー企業の殆どは内製率の高い垂直統合型のビジネスモデル企業ダケである。テスラやファーウェーやシャオミ等などは半導体設計からAi開発まで全部自社で巨大な投資(年間売上総額の数倍)をして行って居る。普通の開発社員でも年俸1億円〜数億円なんて社員がゴロゴロ居る。

高市首相はアベノミクスを継承、円安と金融緩和を続けて大企業は最高益。でもその儲けの湯気は、庶民の食卓までは届かない。株価が上がっても、味噌汁の具は少なくぬるいまま。

B. 他の産業は“冷凍庫の中”
半導体支援は立派だけど、2023年の対内直接投資(FDI)は3.0兆円で33%減。世界196位って、北朝鮮より下なんだぜ? 笑うしかない。

サービスや運輸、通信なんかの非製造業は投資が前年比50.4%減。完全に冷凍保存。企業の内部留保は637兆円と過去最高、13年連続更新。金はあるけど動かない。まるで種もみ田んぼに植えない農家の様だね!経済ってより、もう「貯金通帳国家」だよ。

C. 実感なき“AI景気”
実質賃金は6カ月連続マイナス(−0.8%)。AI導入が雇用を生むどころか、「効率化」という名のリストラを進める口実になってる。株高なんて、富裕層にジャブジャブにあまりに余ったお金をAIのアルゴリズムが人間より速く利益を吸い上げた結果だ。

その一方で、商店街の灯りは次々消えていく。「経済成長」という言葉だけが、ネオンみたいに空しく光ってる。現実は節電モードのままだ。

D. FDI「Foreign Direct Investment」「海外(外国の日本への)直接投資」196位って、もうギャグだろ
日本のFDI比率は5.89%、OECDでも最下層。北朝鮮より下って聞いても、もう驚かない。政府は「2030年までに120兆円に増やす」と息巻くけど、それでも世界175位クラス。つまり、“底辺の中の底辺+”を目指す宣言だよ。いくらスローガン上げても中身が無く魅力が無い日本では誰も投資なんかしないと思うよ!

外資が入らない国って、血流が止まった体と同じ。新しい血が回らないから、古い細胞――つまり既得権層――がゾンビみたいに生き続けるんだ。外資だって100%日本に企業進出の投資しても儲からない!意味が無いと思って居るからジャブジャブマネーでも日本に投資するのは・・速攻直ぐに逃げられる日本株ダケだよね!

何時破綻してもおかしくない、何時バブルが崩壊してもおかしくない日本に、普通の神経では投資など出来ないよね!日本人の知識人だって滅茶滅茶”先が無い危険すぎる日本”になど殆ど投資などしていないのだから・・・日本人が大好きな大トヨトミ様でも、外国にしか新設工場は建てないからね!等々アメリカや中国で生産して日本に逆輸入なんて話まで出てきましたよ!

経営者なら当たり前である、中国製造原価最低(日本製造の1/2以下)が可能!日本販売利益世界最大!世界販売の利益率平均の5〜10倍が可能!

原理原則⇒企業の目的⇒利潤を上げる事!・・・仕掛ける人間は仕掛ける相手がバカであればある程簡単に儲けられると云う事ですよね!日本企業が大得意な”カイゼン”の最終系です!・超簡単な話です。参考サイト

https://global.toyota/pages/global_toyota/ir/financial-results/2025_4q_presentation_jp.pdf

権威国の独裁国家中国の富裕層は共産党政権が台湾進攻など起こして徴兵制が敷かれたり、財産没収なんて事を心配して、日本に、逃避する事も考えて、日本のマンションや不動産を・我が身と富を守る保険として買いあさって居るダケだよね!、今の所、激安日本で世界中からのインバウンドで民泊業者に丸投げすれば・・年率20%前後で運用(5〜6年我慢すればタダ)できるから損も無い!だから東京マンション投資だよね!

E. バブル? ああ、またそれかぁ〜
100でも割高と言われるバフェット指数は200超え。米国より高い。完全にバブル。でも国民は「またか」でスルー。もはや反応も薄い。バブルも崩壊も、ニュースじゃなく“季節行事”みたいなものだ。問題は、麻痺してるどころか壊死していることに気づかないことだよ。「悪慣れ」ってやつ。改革が遅いのは伝統芸、問題の先送りは国技。日本社会はもう「問題の冷凍保存装置」になってる。

――結局さ、危機は「慣れる」ことで消えた気になってるだけ。
でも本当に消えてるのは、危機じゃなくて感覚なんだよな。5万円の株価を見て莫大な実利を得て「すごい!」って言ってるのは1万人に1人だけで、その間に、俺たちの生活はどんどん痩せ細ってる。金融リテラシーの高い、なおかつ最先端のAI使いの1万人に1人は、バブルが崩壊しても殆ど、その先に逃げ切って居る!

私も日本の先のバブル1988〜1989年末迄の不動産バブル崩壊は頂上で売り抜けて2カ月前に損失ゼロで逃げ切った実績が有りますよ!(私の仕事は不動産会社経営だから不動産を仕入れ無い事には仕事にならないからね!バブルで儲けようと金に群がった訳では無いので・・その点よろしくね!)

株価が上がるたびに、希望より違和感が募る。「これでいいのか」と思っても、笑ってごまかす。その“悪慣れ”こそが、いまの日本の一番高いコストだよ。AIが笑う前に、自分たちの感覚を取り戻さなきゃ、本当に人間まで“自動運転化”されちまう。だよね!・・

「衰退すると云う事=痛みが生まれると云う事」衰退を止めるには痛みを受け入れ、傷んだ原因を除去し、さらに痛みを伴う努力をする事以外に立ち直る事など不可能!借金をして痛みをごまかし、先送りすればするほど、痛みも何倍にしても先送りを意味する⇒未来世代が全く責任が無いのに強烈な痛みを受ける事を意味する。

こんなドシンプルな原理原則さえ日本の山ほど居る東大卒は理解出来て居ない!否!当然理解しているが「金ダケ、今だけ、自分ダケ」で97%の思考停止の民や、その子や孫に押し付ける事を決断したのだろう。

昭和の人間として感じる事は、戦後昭和の若者は猛烈な正義感と使命感(真の愛国心)を持っていて、いい加減な政府に膨大な学生運動党で”否”を強烈にアピールした!一部左翼の行き過ぎで自滅したが・・私も含めて多くの若者は”公憤”をストレートに現わしていた!だから昭和の日本は運も良かったが、色々な世界的創業者が生まれ、それを支える若者が多く輩出された!だから昭和の発展は日本の歴史にただの1度も無かった大発展を可能にした。・・

しかし、殆どの正義感溢れる”昭和の公憤若人”は年老いてしまった!守りに入ってしまった!しかも過半は、その日暮らしの生活苦で有り貧困老人化している。今夏の令和の米騒動の2000円の古古古米に群がる老人の大行列を見れば明らかな事ですね!

「金ダケ、今だけ、自分ダケ」で生きた人間の成れの果てですね・・この生き方で生きた人の97%は金も無くなる運命を理解して下さいよ!

悲しいかな平成の若者に”公憤”なんて全く感じられない!ちゃらい「今だけ、金ダケ、自分ダケ」が人間の”根っこ”になりさがった動物的な生き物化をした様だ!そんな生き物に貶めたのは日本のマスゴミや教育者や仕掛ける大企業経営層なのだろう。むかしから言い伝えられている事が日本でそのまま起きて居る。

夢を持ち起業した初代から2代目に承継できた企業は全体の約30%、3代目にまで承継できた企業はわずか約13%、そして4代目以降まで至る企業は約3%に過ぎない!

国税庁の数字によると、会社が10年続く確率は6.3%程度、つまり16社のうち1社しか生き残れません。 20年続く確率は0.4%しかなく、さらに生き残るのはそのうちの6%しかありません。 30年続く確率は0.021%で、さらにそのうちの5%しか生き残れない計算との事です。

つまり、日本では代々続く地域のお殿様企業や日本国の有名企業しか30年以上は生き残れない事を意味しています。新芽が踏み潰される文化を持つ国!・・・それが日本の実態です。溺れる犬を上からよってたかって棒で叩きまくる文化の国とも言えます。日本人は今も昔も、ほんの一握りの代々の権力者に支配され続けて居る事を日本人は自ら選択しているのですね!

「初代が企業を起こし成長させ、2代目が現状維持で、3代目が会社をつぶす」・・戦後昭和が初代企業家、2代目がバブル崩壊から平成、3代目が令和の日本・・となるのだろうね!

貴方に正義感や利他心や公憤は有りますか?さて、自問自答してくださいね!

今後のAI⇒AGI⇒ASI時代の急速な進捗では確実にAIエージェントによりホワイトカラーからリストラが始まり、時給50円相当のヒューマノイドの普及と共にブルーカラーもリストラが始まる事は確実な事です!人間は時給50円では生きては生きては行けませんよね!10年後には推定50%の人はリストラ不可避です。AI化は今までの革新での様な新しい仕事が生まれてもAIが即そのまましてしまいます。新しい仕事の新雇用は生まれないのですね!

その時・・・日本の大組織、大企業の歯車で働いていた人ほど、世の中の役には立ちません!自活力は最低の人々です。零細企業や自営業の人程、人間としての自ら生き抜く力を持っています。

簡単な事です、ド古い自転車なら何時でも走れますが・・Ai-BEV化に乗り遅れた型古の自動車の中古の廃棄エンジンダケ有っても何の役にも立ちません。ましてや歯車1個だけなんて・・・資源ごみで有料で無ければドコも引き取ってはもらえませんね。

それと同じ事が今後5年〜10年〜15年かけて日本人の過半以上に確実に起きる事です。

私たちの選択肢はなるべく良好な人間関係をEQ力や利他心を高めて構築して自給率、自由率を上げる事しか出来ません!貴方と私!その親友共々お互いに未来が感じられる者同士、利他心を発揮して助け合ってAI時代を生き抜きましょう!

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